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レーシックの歴史

レーシックは一歩一歩、着実に発展を重ねた安心の技術

近視矯正手術の進歩を支えたのは“ひらめき”ではなく“地道な検証実験”

「天啓のひらめき」によって生まれた技術は、物語としてはとても魅力的です。ひとりの人間による、天啓の着想、驚異の発見、奇跡の開発――。それらは世間の耳目を集めますが、本当にその技術が信頼に値するものなのかを判断するのは、なかなか困難です。

一方レーシックは、開発されるまでに長い道のりを経てきました。日本、欧米、各国の臨床医や研究者たちが地道に努力を重ね、基礎理論の検証、技術開発、臨床試験を繰り返してきました。理論にちょっとしたほころびが見つかれば徹底的な検証をおこない、ある手術の欠点が見つかればそれを補う技術を開発し、そのあゆみは「一歩一歩」で着実です。

初期の近視手術の欠点をひとつひとつつぶして完成されたレーシック

以下の表は、レーシックにつながる道のりをごく簡単にまとめたものです。原点となる素朴な技術が、失敗を経験しながらひとつひとつ改良のステップを進んでゆくさまがうかがえると思います。レーシックは、これら過去の技術がすべて力強い土台となって支えています。

  開発された治療技術 どんな治療法? 普及・存続などの成果
1950年 サトウズ・オペレーションが完成 日本の佐藤勉医師による。メスで角膜に切り込みを入れ、角膜のカーブを平坦化して近視を矯正する手術 ⇒ 術後十数年を経て合併症を発症するケースがあると判明して実施されなくなった
1963年 ケラトミレイシスが完成 コロンビアのバラケが開発。角膜からフラップを切り取り、工場で冷凍したうえで加工し、また角膜にもどす手術 ⇒ 手間と時間がかかり、矯正精度も低いため、あまり普及せず
1974年 RKが完成 旧ソ連(ロシア)のフョドロフ。サトウズ・オペレーションの改良型手術。角膜の前面のみを放射状に切開する手術 ⇒ アメリカにも広がり80年代に大きく普及したが、精度があまり高くないことや、切開による角膜の弱体化が欠点となり、PRKの出現ですたれていった
1986年 PRKが完成 旧ソ連(ロシア)のフョドロフ。サトウズ・オペレーションの改良型手術。角膜の前面のみを放射状に切開する手術 ⇒ アメリカにも広がり80年代に大きく普及したが、精度があまり高くないことや、切開による角膜の弱体化が欠点となり、PRKの出現ですたれていった
1988年 ALKが完成 旧ソ連(ロシア)のフョドロフ。サトウズ・オペレーションの改良型手術。角膜の前面のみを放射状に切開する手術 ⇒ アメリカにも広がり80年代に大きく普及したが、精度があまり高くないことや、切開による角膜の弱体化が欠点となり、PRKの出現ですたれていった
1990年 レーシックが完成 旧ソ連(ロシア)のフョドロフ。サトウズ・オペレーションの改良型手術。角膜の前面のみを放射状に切開する手術 ⇒ アメリカにも広がり80年代に大きく普及したが、精度があまり高くないことや、切開による角膜の弱体化が欠点となり、PRKの出現ですたれていった

*治療技術名をクリックすると、説明ページに移動します。

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