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レーシックの歴史
深刻な合併症を克服した改良型手術――RK
■ロシアで改良され再び脚光を浴びたサトウズ・オペレーション
「画期的な治療法」と期待されたサトウズ・オペレーションが残念な結末をむかえた後、日本では進歩のあゆみがストップ――。しかし旧ソ連(現在のロシア)では、近視治療に新たな一歩が刻まれていました。
1972年、眼科医のフョドロフのもとをひとりの患者が訪れました。患者は活発な年頃の少年で、交通事故の衝撃でかけていたメガネが割れ、その欠片で目の角膜を傷つけてしまったのだと訴えました。フョドロフは傷の具合や目の機能を慎重に診察し、深刻な状態ではないから安心するようにと少年に言い聞かせ、ガラス片の除去と消毒のみで帰宅させました。
しかし、この少年の治療プロセスで興味深いことが起こりました。ほんの数日後に包帯をとってみると、角膜の傷が癒えただけでなく少年の視力がケガをする以前よりよくなっていたのです。以前は0.1だった視力が1.0以上に回復していました。「傷の治癒とともに近視が治る」、そんなケースを目の前にしたフョドロフは、佐藤教授の有名な論文を思い起こしました。
「自分が体験した症例はサトウズ・オペレーションを開発した佐藤教授の主張が正しかったことを裏づけるものだ」、そう確信したフョドロフはサトウズ・オペレーションの問題は、佐藤教授がおこなった「切開法」だけだと考え、研究に没頭しました。そして2年後――。
フョドロフは角膜の前面だけを放射状に切開して視力を改善させるRK(Radial Keratotomy:角膜放射状切開術)を完成させたのです。
■深刻な合併症を回避したRKは世界に歓迎された
この時代、そしてこの段階においてはRKは大きな飛躍でした。シリアスな合併症をともなうことなく視力矯正を実現する手術の登場は人々を驚かせ、78年にはアメリカに進出し、80年代になると近視の手術として大いに普及しました。
■RKが抱えていた2つの弱点
しかし発展途上の技術RKには、いくつかウイークポイントがあったのも事実です。ひとつは、この手法で近視をある程度改善することはできるのですが、精度があまり高くないことが挙げられます。当然この時代に手術用の精巧な機器など存在しませんから、すべてを医師の技量に負うところが大きく、結果が不安定になるのも仕方がない面もありました。もうひとつは、角膜の前面を切開するため、角膜の強度が低下してしまうことです。また重度の近視や乱視には向かないことも弱点のひとつでした。
こういった事情を抱え、80年代後半に新技術が登場するとRKは急速におこなわれなくなっていきました。次なる手法は、非常に精密な加工を実現するエキシマレーザーを用いた、革新的な近視手術でした。
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