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レーシック 体験談

レーシック 体験談

同じ手術を受けても、一人ひとりの体験は大きく異なります。目の状態、体質、手術の細かい内容、術後の生活、手術に望むこと――。それらが違うため、体験者の方々には異なった物語が生まれます。でもひとりの人が癒えてゆくプロセスが、レーシックを検討している人にとってよい参考になるのもまた事実です。

レーシック 体験談 ~36歳・会社員・男性の場合~

レーシックとの出会いは、身近な体験者の存在

ある日、メガネ顔が印象的だった会社の後輩が裸眼で出社。話を聞いてみるとレーシックを受けたといいます。週末を挟んで手術を受けてからわずか3日しかたっていないのに「もう信じられないくらいよく見えるんです」「世界が変わりました」「こんなに便利になるなんて」「早くやったほうがいいですよ」と、大きな効果を実感して感激している様子でした。

彼の喜んでいる姿を見て、自分も受けてみたいと強く心が動きました。私は高校受験の頃に近視がグングン悪化してしまい、高校入学時にコンタクトレンズを着けるようになりました。それ以降20年以上にわたって使い続けていますが、相性が悪いのか目にしょっちゅうトラブルが起きます。頻繁に炎症が起こり、ひどいときには両目に起きて目を開けていられなくなります。眼科にかかって治療をしてもらっても症状が落ち着くまで仕事もろくにできませんし、仕事が忙しい時期には「今、目の調子を崩したら大変だ」と緊張して過ごしていたほどです。

コンタクトレンズのトラブルで毎年“地獄の春”を過ごしてきた

社会人になってからの数年間は花粉症の影響もあって、毎年春先はまさに地獄のような状態でした。目は赤く充血してかゆみが出て、涙が止まりません。涙が目にしみてまた涙が溢れ、まぶたはただれてしまう有り様でした。もちろんこの時期はコンタクトレンズを使えませんからメガネを着用していましたが、どんなに調整してもらってもメガネだとすぐに頭痛になります。目の問題に、人生が振り回されている状態でした。

後輩に詳しく手術の様子を聞くと、ずいぶん簡単にすんでしまうようで意外でした。しかし「視力が落ち着いて状態が安定するのはまだ先みたいです。まだ眩しさがあるし、ちょっとかすんだ感じに見えることもある。僕の様子を経過観察して、よさそうだったら本当に受けてみたらどうですか」とアドバイスされ、そうさせてもらおうと後輩の観察を始めました。

決め手は「知人の効果」と「クリニックの誠実さ」

しかし「半年は様子をみよう」と思ってちょくちょく話を聞いていたのですが、3カ月経ったところで我慢ができず、クリニックの説明会に参加しました。説明会では、起こる可能性のあるトラブルなどデメリットについても詳しく紹介され、誠実な姿勢に感じましたし、手術の最中の様子や術後の生活の注意点なども紹介され、自分がレーシックを受けたときのことをリアルに想像することができました。そして決心。クリニックに予約を入れて適性検査、カウンセリング、精密検査などの日程をこなして、手術を迎えました。

痛みなし、あっという間の手術終了

手術着をつけて、こぢんまりしている手術室で横になると、一気に緊張が高まりました。「じゃあフラップを作りますからね」と先生に声をかけられ目の上に器械を載せられると、ドン、と軽い衝撃を感じました。あらかじめ別室で麻酔薬を点眼されていたのでまったく痛みはなく、少し圧迫されたような感覚でした。そしてフワーッと髪の毛が焦げたときのような匂いがしてきました。

自分の目に今レーザーが当てられているのだと生々しく実感しましたが、目は見えない状態ですし、目の感覚もないので、どこか他人事のようで不安も恐怖もありませんでした。そして「次は何をするのだろう」と思っていると先生が「ハイ、無事に終わりましたよ」。本当にあっという間の手術でした。

術後、薄暗い部屋で20分くらい休んだ後に診察があったのですが、ボヤーッとかすんだ状態です。異常はありません、予定通り処置できましたよ、とにかく今日は早く休んでください、という先生の言葉で安心できましたが、視力がどうなっているのかはすごく不安でした。そして翌朝――。

「裸眼で何でも見える」「何でもできる」という自信

本当にきれいに見えました。これまでは朝、起きたとき時計もカレンダーもろくに見えず、そんな目でしたから窓の外の景色を楽しむこともありませんでした。それが裸眼で何でもよく見え、メガネもコンタクトも頼らず自由に何でもできます。自分の目で見える風景のクリアさに感動しました。大満足でした。以降、これまでの不自由だった日常生活が一変しました。「自由になった」「解放された」、何度もそう思いました。

それからもう3年以上たっていますが、視力は好調です。仕事もスポーツも、目の調子に邪魔されることなく思いきり行えて、今でもレーシックで人生が変わった、手術を受けてよかったとしみじみ思う瞬間があります。

レーシック 体験談 ~44歳・女性・主婦の場合~

テニス、サーフィン、スキー……第二の人生を楽しもう

年子で生んだ姉妹がようやくふたりとも大学入学を果たし、夫からも「これからは自分のために楽しんだらいいよ」と言ってもらえ、旅行やスポーツを気兼ねなく楽しもうと思っていたときのことです。

月に1~2度通っていたテニスクラブで、長年の友人が「じゃあ、思い切ってレーシックを受けてみたら? 私の息子がすごくよく見えるようになって『お母さん、今からでもやったらいいよ』って勧めてくるの」とレーシックのことを教えてくれたのです。

娘たちの後押しでレーシックを受けることに

彼女はコンタクト生活でも不自由ないといって受けるつもりがないようでしたが、わたしはコンタクトがどうしても合わず、結局長年にわたってメガネを使ってきました。当然ですがメガネでは不便なことがたくさんありますし、意外に行動が縛られます。これからはサーフィンやスキーにも復帰しようと思っているので早速、資料を集め家族会議をして検討。最後は娘たちの勧めでレーシックを受けることに決めました。

慎重・丁寧な事前検査での思わぬ指摘

クリニックでは説明会があり、予約をして適性検査、そしてカウンセリング。ずいぶん慎重で手厚い前準備だな、と思いましたが大事な目の手術を受けるわけですから、逆に安心することができました。そして、この検査とカウンセリングのとき、私がうっかりしていた問題を掘り起こされました。老眼です。

実はすでに老眼が始まっていたのですが、程度も軽いのですっかり忘れていたのです。でもレーシックを受けると、遠くがきちんと見えるようになるぶん、これまでは近視のおかげで症状が軽かった老眼が、もうちょっとはっきり出てくるかもしれないと説明されました。私は「やっぱりレーシックを受けるのには遅すぎなのか」と失望しかけましたが、先生の説明はまったく違いました。

一度の手術で近視も老眼も一気に解決

「では、老眼もいっしょに治療しましょう」。先生によると裸眼で遠くも手元もちゃんと見えるようにする手術があるといいます。老眼の進み具合や角膜の状態を調べていただいた上で、私もその手術が受けられると診断していただけたので、迷わずお願いしました。老眼については手術の後、慣れるまでに時間がかかるかもしれないと説明されましたし、手術だからリスクはある、という注意も受けました。全部わかった上でレーシックを選んだのです。

手術後、とにかく遠くが劇的にきれいに見えるようになり、本当に感激しました。部屋の隅に落ちている髪の毛や、テレビボードのかすかな埃(ほこり)まで見え、術後は掃除が行き届くようになりました。ダイニングテーブルを挟んで向かいに座っている夫の顔の、細かなシワや毛穴まで見えます。もちろん鏡で見る自分の顔も細部まで見えて、毎朝メイクをするときにすごく楽に、しかも丁寧にできるようになりました。

「微妙な表情が見える」人とのコミュニケーションも濃厚に

それまでは、メガネを外しているときは夫の表情もろくに見えていませんでした。それが今は生き生きとして見えます。微妙な表情の変化にも気づけます。「よく見える」ということは、お化粧や掃除などの家事が丁寧にできるようになるだけでなく、人の表情から微妙な心の内まで読めるようになるのです。目がよく見えるようになると人とのつきあい、コミュニケーションも豊かになるのだなあと、本当に感慨深く思いました。

老眼克服までは気長に構えて楽しくトレーニング

また、事前に「慣れるまでは近いところが少し見えにくいかもしれない」と言われていましたが、幸いあまり気になりませんでした。確かに近いところを見るとき、ピントがすぐには合いにくいな、という感じでしたが1日2回、クリニックから言われたとおり、目の簡単なトレーニングをして、手術の1カ月後には目のかすみも光のギラつきもなくなり、希望通り遠くも手元もよく見えるようになったのです。

「長年の夢」を期待以上の形で叶えてくれた

手術を受けたのは秋だったので、海への再デビューはしばらくお預けになりましたが、待ちに待った翌年の夏、娘たちが子どもの頃に遊ばせたボディボードから始め、サーフィンのボードも購入。サーフィンを始めたおかげで新しい友人たちもでき、人生に新しい喜びがどんどん増えていきました。

私は若い頃、周囲の友人たちよりずいぶん早く結婚して子育てに入り「みんなのように遊べない」「子育てが終わったらもう一度、自分のために楽しもう」と思ってきました。でも「歳をとってからじゃ楽しめないかも」とも考えていたのです。レーシックでその長年の夢を、期待以上の形で叶えることができました。受けてよかった、心からそう思います。

レーシック 体験談 ~27歳・女性・番組制作会社勤務の場合~

コンタクトのトラブルに仕事を邪魔されてばかり

高校を出た後に映像制作の専門教育を受けて、念願の番組制作の現場で働くようになりました。体はきつくても本当に楽しくて、人生のほとんどすべてを仕事に注ぎ、そんな毎日に幸せを感じながら過ごしていました。

ところがコンタクトレンズが、しょっちゅう問題を起こします。仕事は外でのロケも多く、現場を一日中走り回っていますし、長時間風雨にさらされたり、徹夜が2日も続いたり、目にとって過酷な環境なのは事実です。そんな仕事中、頻繁にコンタクトがずれて、大事なタイミングで作業を中断することになるのです。ロケのときだけでなく、スタジオ内は大きなセットが組まれて工事現場のようですから粉塵まみれで、目にゴミが入ることも多くあります。

私はもともとの視力は0.1もないくらいですから、片方のコンタクトレンズを落としてしまったときなど、まったく仕事にならず周囲に迷惑をかけっ放しでした。フットワークが命の制作現場でしょっちゅう「すみません、今ちょっと目の調子が……」と目をパチパチしていては、使いものになりません。自分でカメラを持ち撮影する機会もありますから、目の問題はとても深刻でした。

救いを求め、身近に感じていたレーシックを決意

「これでは仕事にならない」「コンタクトレンズに仕事の足を引っ張られている」、そんな思いが日々つのってレーシックを受けることに決めたのです。レーシックのことはそれまでにもテレビや雑誌で情報を見てすごく気になっていました。また放送業界にはレーシックを受けた人が多く、知人の中にもちらほら経験者がいたので身近にも感じていました。

いったん決めると気持ちばかり先走ってしまい、手術までの1カ月弱が待ち遠しい思いでした。適性検査で「角膜の厚さが平均より薄めだけれど、今の技術なら問題なく手術できますよ」「軽いアレルギーがあるようですけれどこちらも問題ありません」と言われ本当にホッとしました。そして手術当日、緊張と期待で胸がいっぱいになりながら、手術室に入りました。

その後の人生を変えた手術室の10分間

手術室は、普通の病院のような真っ白で冷たい感じの部屋ではなく、壁や床の色が柔らかく明るい感じで、適度に小ぢんまりとしていて、室内には音楽も流れリラックスすることができました。目を器械に固定するときも、レーザーを当てるときも、先生が話しかけながら行ってくれるので気持ちがまぎれ、気がつくと作業が先へと進んでいます。いつの間にか緊張が解け、気楽に寝そべってすべてをおまかせしていました。ふわーっと焦げるような匂いが漂ってきたときは、自分の目がレーザー照射されているせいだとは思いもしませんでした。そして、目に薬を点眼して終了。緊張していたわりにはあっけなく、ほんの10分ほどで手術は終わりました。

「こんなに美しかったのか」世界が一夜で新しくなったよう

手術後の感動は忘れられません。当日は視界が白っぽくかすんでいて「本当に見えるようになるのかな」と少し不安でしたが、翌朝目覚めると、まるでひと晩で世界がすっかり変わったようでした。見るものすべてがクリアで生き生きとして見えるのです。寝室のある2階の窓から外を見渡すと、街路樹の幹の質感や葉の一枚一枚までわかります。離れた家のベランダに置いてある子どものおもちゃまで見ることができました。

「そうか、世界はこんなに美しかったのか」、大げさでなくそう思って、いつまでも飽きずにしげしげと風景を眺めていました。メガネやコンタクトレンズを通して見るのとは質感が違い、裸眼で見えることに感動していました。通勤電車の窓からもビルの看板を追いながら「見える、本当に見える」といつもと違う風景に心を奪われていました。

「子育てが不便なくできる」と将来の安心も

それからは目のせいで仕事を中断するようなことがなくなりました。4ヶ月目までは少しドライアイの状態が続いて点眼薬を使っていましたが、それ以前の目と比べたら全然手がかかりません。また精神的なストレスから解放され、心配なく仕事に打ち込めるようになったのも大きな収穫でした。

見えることの便利さ、ありがたさを深く実感するとともに、これまで視力が悪いせいで自分がどれほどの時間や手間を浪費し、ストレスを負わされていたかを知りました。将来、わたしも子どもを持ちたいと思っていますし、手術をして将来的な便利さ、将来的な安心まで手に入れることができて本当によかったと思っています。

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